法蔵寺について

ABOUT US

  • TOP
  • 法蔵寺について

お地蔵さんが護るお寺

正式名称
大乗山 宝憧院 法蔵寺 (だいじょうざん ほうどういん ほうぞうじ)
宗派
浄土宗
本尊
阿弥陀如来

寛永19年(1642年)超誉傳公上人によって開山される。
本尊他、地蔵菩薩・不動明王・観音菩薩・薬師如来・十王像などの多くの仏像を所有。
寺院に併設した日下部保育園があり小原地区の古刹として地域からの信仰を集める。
本堂南側には鐘楼門が日々時の鐘を告げている。
除夜の鐘には100人余りの人が年越しを祝いに参詣する。その他永代供養塔・めおと墓を所有。
法蔵寺は浄土宗になる以前は、延命地蔵尊を祀るお寺であり本尊として崇拝されていた。「延命地蔵尊」とは、「延命」と聞くと人々の長寿を想像するのではないでしょうか。昔は平均寿命が30歳~40歳でした。この平均寿命の短さは、はやり病や食糧事情、医療不足で幼い子供の命が失われる事で平均寿命が短かったと言われています。当時の人たちは未来ある子供に「無事大きく成長してもらいたい」と、願いを地域のお地蔵さんに託していたのです。現在は食料事情も改善され医療も比べものにならないくらい発展しましたが、子供に対する「無事成長」の思いは今も昔も変わりありません。そんな願いを受けて見守って下さるのが延命地蔵尊です。

法蔵寺に祀られている「延命地蔵尊」

かつて山梨市では、小原西の法蔵寺に祀られている「延命地蔵尊」が大変著名であり、安産・子育ての仏様としてあつく信仰されており、毎年11月23日におこなわれるお祭りは盛況におこなわれていた。
当時は地域のお地蔵さんとして宗派を問わずに地域の僧侶によって法要をとり行われていた。祭りでは稚児行列・御詠歌奉納などのほか、かつては境内に舞台を設けて演芸芝居などの余興も、さかんにおこなわれていた。山門前の通りには露店も多く立ち並び昭和51年頃までは活況を呈していた。参拝におとずれる妊婦や若妻は、安産の御札と御守りを受け、延命地蔵尊の絵馬を仏前に奉納した。このお祭りは農業の節目でもあった。
お祭りが有名になったのは、江戸時代末期から、明治、大正、昭和までである。お祭りを主催していた法蔵寺を中心として小原地区は栄えていました。
しかし、時代の流れともにお祭りが縮小してしまう。
現在この小原地区にかつての活気あふれるお祭りを復活し、地域の方々や子供たちにお祭りに来ていただき、伝統に触れていただくこと、顔が見えることで安全なまちづくりになるように令和5年から取り組んでいる。

御朱印について

当山の御朱印は3種類ございます。
・通常朱印「南無阿弥陀仏」※1 書き置きでの対応。要問い合わせ。
・限定朱印「延命地蔵尊」※2 毎年11月23日のみ書き置き、直書きにて対応。
・限定朱印「御納歌」※2 同様
この御納歌朱印は、法蔵寺に納めていただいた掛け軸を朱印にいたしました。先人たちが健康長寿や未来ある子供に無事大きく成長してもらいたいとの願いを地域のお地蔵さんに託しておりました。そんな篤い信仰の結果に延命地蔵尊に対して御納歌が贈られました。延命地蔵尊の御縁日である11月23日限定にて頒布いたします。御守り「お地蔵さん御守り」「御守り」もあります。延命地蔵尊に秋の収穫を感謝、報告すると共に子供の無事成長や、子宝のお願い等々多くの利益を求め地域を越えて村人達から特段の信仰が寄せられました。毎年11月23日には延命地蔵尊の功徳を讃え、未来を担う子供たちのお稚児行列が参加し、人々の延命を祈願し法要を厳修しています。

住職挨拶

仏(明るく)・法(正しく)・僧(仲良く)

法蔵寺第20世住職小幡徳生と申します。
現代では「寺離れ」「墓じまい」などと寺院にとっては逆風の世の中になりつつありますが、幸いにも山梨市小原地区では古き良き形が数多く残っており隣人の顔がわかり、幼い頃から大人になるまでコミュニケーションを取る事が出来る町と思っております。この素晴らしい環境を次世代にも残すべく保育事業やお祭りで町と人を繋ぐ「祈り」の場所がお寺の役目と考えております。昔から、普通に仏様に祈りを捧げ、収穫、子宝、安産、成育と祈りと共に生きてきました。
今もこれからも地域の皆様と「明るく正しく仲良く」すごせるお寺を目指して日々祈り精進しております。
この「明るく正しく仲良く」とは浄土宗の共生の理念から生まれた言葉で仏(明るく)・法(正しく)・僧(仲良く)であります。
私たちは人生において大小様々な悩み四苦八苦にぶつかります。そんな時に迷いから抜け出る為のヒントを仏教は与えてくれます。ありのままに仏様の救いをいただき祈る。皆様も仏教に触れる事で新たな発想の着眼点を得てみてはいかがでしょうか。